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「小泉八雲とセツが歩いた道」道体験ブログシリーズ~月照寺~

松江・月照寺の大亀伝説から読み解く、八雲の日本観​​

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松江市のほど近く、住宅地の静かな一角に、深い木々に守られるように佇む寺があります。
月照寺(げっしょうじ)
1681年に松江藩初代藩主・松平直政が建立した、松平家・初代から9代までの藩主が眠る菩提寺です。

境内には、歴代の藩主の廟門が整然と並び、重厚な石垣、蓮池、観音堂、鐘楼など、
江戸期の気配をそのまま残した穏やかな空間が広がります。

観光の中心地から少し離れるだけで、
まるで時間の流れが緩むような静けさに包まれる場所です。

 

 

ここで視線を八雲の生い立ちへ移してみます。

ラフカディオ・ハーン(のちの小泉八雲)は、
ギリシャで生まれ、カトリックの教育を受け、やがてイギリスに渡るとプロテスタント文化の中で生活しました。

幼い八雲は、周囲の大人が語る宗教の違いに戸惑い、何がただしいのか分からずに心揺れる日々をすごします。

しかし同時に、違いがあることを受け入れざるを得ない環境で育ったことで、
やがて彼の中には

「人はそれぞれの祈り方をしてよい」

という“寛容な宗教観”が芽生えていきました。

その経験こそが、のちに日本文化へ深く共感する下地となります。

 

日本で八雲が出会った“共存の美しさ”

来日した八雲が心を揺さぶられたひとつが寺と神社が日常の中で自然に共存している日本の風景でした。

教義の違いを超えて、人々が静かに祈りを捧げ、暮らしの一部として受け入れている文化。

争わず、排除せず、互いを認め合う日本の信仰は、幼い頃の宗教的混乱を抱えていた八雲にとって
深い安らぎを与えるものでした。

松江という土地は、そんな日本の“おだやかな宗教観”が色濃く残る場所でもあります。

 

 

月照寺の大亀─藩主の祈りを支えてきた石の亀

2.png月照寺の境内をめぐると、堂々と構える 大亀の石像があります。

連続テレビ小説「ばけばけ」のオープニングで大亀の前で

八雲とセツさん役の方が仲良く映っているのが印象的ですよね。

実はこの大亀は、6代藩主・松平宗衍(むねのぶ)公の寿蔵碑の台座に使われたもの。
建立したのは息子の不昧公(松平治郷)。父の徳を称え、長寿と平安を願って奉納されました。

形式は中国由来の「亀趺(きふ)」で、高位の人物の墓碑に用いられる伝統的な格式ある造形です。

しかし、この石の亀には“歴史的役割”を超えた豊かな物語が宿っています。

 

この亀に語り継がれる“怪談”と“優しい民話”

大亀には、全く異なる二つの伝承が息づいています。

 怖い話

「夜な夜な池に飛び込み、城下を暴れ回ったため封じられた」3.png
首元の亀裂を “斬られた跡” と語る人もいます。

温かい話

「頭をなでると長寿を授かる」
「親を思う心が込められた親孝行亀」
という優しい民話も。

私が現地で聞いた
「首の亀裂は、動き出さないように斬った跡」という話や、

「親のために作られた“親孝行亀”」で、あたまをなでると長生きできるなど

怪談と祝福、恐怖と優しさ。
相反する物語が同じ石像に重なり合う姿は、
日本独特の“曖昧さの美しさ”そのものでした。

そしてその感性こそ、八雲が日本を愛した理由の1つでもあったと思います。

八雲と妻セツは、松江に暮らしたわずかな時間の中で、
寺社を散歩することをこよなく愛したと言われています。

梅雨に咲く紫陽花の色、7.png
木々を渡る風、
しっとりと濡れた石段、
大亀の足元に落ちる陰影――。

そのすべてが、
八雲が求めていた“静かで穏やかな日本”を象徴していました。

 

色々な伝説がのこってますが、私は長生きできるという伝説にあやかって

大亀を沢山なでなでして帰りました。